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マスターの教え

新しいブログの開設を検討していて、こちらの更新ができずにいました。

新しいブログでは、このブログの過去記事の『学びの記録』(再編集したもの)と、人生をいかに幸せに生きていくかをテーマにした記事を投稿していきたいと思っています。

更新がない間も毎晩夢を見ていましたが、特に投稿に値するような夢は数日分で、他は記憶の整理と飼い猫の雄叫びで目が覚めると同時に消えたという夢であったりで、今日の投稿に至りました。

三月二十四日就寝。

この日の夢を記録しておきます。


夢の内容

記憶に残った夢の内容は至って単純明快。

それは声でした。

その声が次のように語りました。

『人はどうして生きているのか? それは今日という日に用意された体験を積む為である』

多少文言は違うかもしれませんが、以上のような内容でした。

夢を解釈する

これは啓示ですね。

この声には聞き覚えがあります。

既に閉じてしまった過去記事の内容になりますが、二年前になりますか、私は自分が死ぬ夢を断続的に見ていた時期がありました。

死は再生を意味するといった夢解釈的なものではなく、啓示的な夢です。

あまりに何度も見ていたので、母親と長兄にこのことを伝えました。

もしかしたら○月○日に自分は死ぬかもしれないと。

そうして、その日が近づいたある日の夜。

いつものように私は夢を見ていました。

しかし、映像はなく、声が聞こえてくるだけ、それも複数。

まるで会議でもしているかのような感じでした。

その複数の声の中、一つの威厳のある声が割って入ります。

『この子を死なせてはいけない』

この声とともに、複数の声は止みました。


『この子を死なせてはいけない』

この声が誰なのか。当時は祖父(私が生まれる前に他界している)かなとも思ったのですが、結局は見当もつかないままになりました。

今思うと、私のすべてを管理している、守護聖、守護天使、守護霊、マスターといった者なのかもしれません。


『人はどうして生きているのか? それは今日という日に用意された体験を積む為である』

このときの声と同じだと私は感じています。


人はなぜ生きるのか?

この問いに、声は答えます。

今日という日に準備された体験をする為。

つまり、生き抜くことこそが、生きる目的なのです。

一日一日に起きる出来事はすべて用意されているもの。

その日その日に私たちは何かしらの体験をし、その体験から得たものを智慧として魂に蓄えていくのです。

だから、出来事の良し悪しも関係なければ、苦楽も関係ない。

恐らくはこちらの世界に生まれ出てくる前に、人生すべての出来事は一日の隙間もなく準備されていて、その準備されたことを私たちは体験し尽くしていくということなのでしょう。

その体験の積み重ねが智慧を生む。それですべてと言っても過言ではない。

そこには勝ちだの負けだのもない。見るべきは自分。他人ではありません。

ただ自分の為に用意された体験を積み重ね、自分の智慧を増やしていくこと。

これに尽きるのだと思います。

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夢が伝えるメッセージとは

人はなぜ生きるのか?

それはその日に用意された体験を積むためである。

最も大事なのは、体験の積み重ねによっていかに多くの智慧を魂に刻み込んでいくかである。


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This post was written by: 夢見人(Birdie)

夢の記録:夢と目蓋の裏に見える映像などから、あちらの世界のことなどを語っています。

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