内容は忘れても、感覚が残って誰が夢に出てきたかわかるときがあるのですが、この日はそれも特になし。
十九日就寝。
この日は夢の内容が記憶に残りました。
しかし、朝の忙しさと午前中の伯母への面会で、記憶がかなり薄れてしまっています。
それでもなおはっきりと覚えていることを中心に見ていきたいと思います。
夢の内容
場所は、またしても大学でした。
人気講師の講義を友人と受けているところから夢は始まりました。
教授の顔や風貌そして講義内容も夢の中でははっきりと覚えていたのですが、目が覚め時間の経過とともに消えています。
まだ講義の途中なのですが、私は友人と教室を出ます。
友人がどこかへ私を連れていこうとしているようで、私は彼の後を追います。
ところが、この友人というのは、親しくもない、どちらかというと関わりたくない中学時代の同級生でした。
そして、後を追っていくと、学生課でしょうか、○○課というのは覚えているのですが、受付の女性が二人いて、私はその女性と言葉を交わします。
その言葉のやり取りも目が覚めてすぐは覚えていたのですが、朝の忙しさとともに消えてしまいました。
『物質』といったような言葉がかすかに記憶にあるのですが……。
追記
思い出したことがあります。
その友人と講義を出た後、どこかの通りに出ました。
その通りの右側には大きな看板が出ており、『カルビー』と書いてました。
ご存知『かっぱえびせん』のあのカルビーです。
そのカルビーが、どこぞの会社を買うのか手を結ぶのか。
相手先は練り物で有名な企業でした。
買収なのか、提携なのかはわかりませんが、カルビーが商品の幅を広げるのか、それとも他業種に手を出すのか。
この夢は予知夢だろうと思います。
しばらくカルビーの動向に注目していきたいと思います。
夢を解釈する
いつものように『未弐の夢事典』から調べていきます。
ここまで調べて、言わんとしていることが見えてきたので、ここで解釈していきたいと思います。
私はこの夜、就寝前、亡き父親に語りかけました。
なりたいものがあることは、以前の『自分が本当に生きたい道とは』で書きました。
大学選択の際に、最初からこの道を選んでいたら、今の苦労はなかったかもしれない。
大学の選択を誤ったことが今の自分の人生を狂わせている。
あのとき、もう一つの大学に進学していたら、その後の現実も違った経路を辿ったのかもしれない。
だとすれば、父は死なずに済んだのか。
末妹に騙され、億単位の連帯保証人にされ、家を故郷を去らずに済んだのか。
私の奥底にこうした拭いきれない思いがあります。
この年で、今からその道を目指しても遅過ぎるのではないか。
生活も成り立たなければ、我が身も立つことは決してないだろう。
だから、いっそ諦めて生活が成り立つ現実的な方向を目指すべきなのではないのか。
私は心の中にある迷いを、こうして亡き父親に語っていたのです。
そうして、見た夢がこれ。
二人の女性は、私の心の葛藤を、二つの道への迷いを表したものと考えられます。
そして、その迷いは間違いなく解決を見る。
それは、やはり「自分で決める」ということです。
自分の人生の行く先は自分が決めることだからです。決して自分以外の人ではない。
その選んだ道を究めていくこと。それこそが自分自身の上級の学びであり成長なのだということ。
私が行きたいと望む道は、たとえ今の生活が苦しくとも、やはり当時大学を選ぶ際に選ばなかったもう一つの道でした。
既に私の気持ちはそこに傾きつつあることも、私は亡き父親に語りかけました。
私の「潜在能力」。そして、「興味の方向を一つに定める」こと。
私はこれらのキーワードに、どうしても精神性を感じずにはいられません。
つまり、現実問題はそれとして、「物質」的なもの(これに象徴されるもの)を取るのか、それとも自分の潜在能力や尽きない興味にかけてみるのかということです。
父親が死に三十年。
長兄夫婦や母親に苦しめられてきた数十年。
自由に自分を生きられなかった数十年。
自分の人生だけを考えて生きられなかったこの長かった年月。
自分の人生の行く先は、自分が決めること。
最初から人生に保障などないのです!
- 大学・・・潜在能力。学ぶべき重要なこと。学びも成長も上級コース。
- 教授・・・興味の方向が定まり集中して何かを学ぶ。
- 同級生・・・精神的成長。悩みの解決。
- 二人の女性・・・相反する感情や衝動。
ここまで調べて、言わんとしていることが見えてきたので、ここで解釈していきたいと思います。
私はこの夜、就寝前、亡き父親に語りかけました。
なりたいものがあることは、以前の『自分が本当に生きたい道とは』で書きました。
大学選択の際に、最初からこの道を選んでいたら、今の苦労はなかったかもしれない。
大学の選択を誤ったことが今の自分の人生を狂わせている。
あのとき、もう一つの大学に進学していたら、その後の現実も違った経路を辿ったのかもしれない。
だとすれば、父は死なずに済んだのか。
末妹に騙され、億単位の連帯保証人にされ、家を故郷を去らずに済んだのか。
私の奥底にこうした拭いきれない思いがあります。
この年で、今からその道を目指しても遅過ぎるのではないか。
生活も成り立たなければ、我が身も立つことは決してないだろう。
だから、いっそ諦めて生活が成り立つ現実的な方向を目指すべきなのではないのか。
私は心の中にある迷いを、こうして亡き父親に語っていたのです。
そうして、見た夢がこれ。
二人の女性は、私の心の葛藤を、二つの道への迷いを表したものと考えられます。
そして、その迷いは間違いなく解決を見る。
それは、やはり「自分で決める」ということです。
自分の人生の行く先は自分が決めることだからです。決して自分以外の人ではない。
その選んだ道を究めていくこと。それこそが自分自身の上級の学びであり成長なのだということ。
私が行きたいと望む道は、たとえ今の生活が苦しくとも、やはり当時大学を選ぶ際に選ばなかったもう一つの道でした。
既に私の気持ちはそこに傾きつつあることも、私は亡き父親に語りかけました。
私の「潜在能力」。そして、「興味の方向を一つに定める」こと。
私はこれらのキーワードに、どうしても精神性を感じずにはいられません。
つまり、現実問題はそれとして、「物質」的なもの(これに象徴されるもの)を取るのか、それとも自分の潜在能力や尽きない興味にかけてみるのかということです。
父親が死に三十年。
長兄夫婦や母親に苦しめられてきた数十年。
自由に自分を生きられなかった数十年。
自分の人生だけを考えて生きられなかったこの長かった年月。
自分の人生の行く先は、自分が決めること。
最初から人生に保障などないのです!
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夢が伝えるメッセージとは
その迷いは必ず解決する。
二つの道が目の前にあり選択に迷ったとき、自分にとって興味が尽きないこと、言い換えれば楽しいことに判断基準を置きなさい。
人生の選択はたった一度の行為でしかない。
しかし、その道を歩むことは人生を究めることであり、そこには多くの学びや成長の連続がなければいけない。
それらのない道は、ただ虚しいに過ぎない。
二つの道が目の前にあり選択に迷ったとき、自分にとって興味が尽きないこと、言い換えれば楽しいことに判断基準を置きなさい。
人生の選択はたった一度の行為でしかない。
しかし、その道を歩むことは人生を究めることであり、そこには多くの学びや成長の連続がなければいけない。
それらのない道は、ただ虚しいに過ぎない。
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