この日は、思いもかけない人物が出てきました。
この人物は医師です。
施設にいる伯母に関係していますが、彼に良い印象は現在も持っていません。
私ぐらいの年齢になると、医師の半分は私よりも若かったりします。
彼もその一人。二十代か三十そこそこだと思います。
さて、夢の内容としては、時間的にも短く断片的でメッセージ性があまり感じらずに目が覚めたのですが、それでもいつものように調べていきたいと思います。
夢の内容
私はその医師の診察を受けたのか、これも今一つはっきりと覚えていませんが、説明を聞いていた記憶があります。
私の体のことなのか、その内容は夢を見ている間もあまり明確にはわかりませんでした。
医師は説明を終えると立ち上がり、どこぞに歩いて行ってしまいました。
大勢の人々が行き来するロビーだと思うのですが、立ち去っていく彼の背中を私は見ています。
その際、彼は何か言い忘れたのか、左手を挙げながら一言何かを言い、そのまますたすたと歩いていきました。
夢はここで終わります。
夢を解釈する
伯母は2012年の晦日も間近な日に、脳梗塞になりました。入院中の出来事でした。
私たちは夜に呼び出され、伯母の弟夫婦とともに病院に行きました。
脳神経科の医師の説明を聞き、命に別状はないと言われ、私たちは安心したのです。ですが、この医師の説明を聞いていたときには、既に私にはこの病院の医師への不信感と不快感しかありませんでした。主治医でもある内科医の初診の態度があまりにも横柄だったからです。
私たちはしばらくして帰路につきます。
と、病院の駐車場で私が最後に車に乗ろうとしたその時、医師と看護師が駆け寄ってきたのでした。
「危ない状態なので、このまま病室にいますか」
私は一瞬パニックになりかけましたが、すぐにその医師に言いました。
「なぜ言うことが二転三転するのか!?」
不信感ゆえに語調もいささか荒かったと思います。
その医師はすぐに反論しました。
「二転三転はしていません。初めから内科的に診て危ない状態です」と。
私はこのときさらに声を荒げてよほどこう言ってやろうかと思いました。
「たった一つの人の命の生き死にに内科的も外科的にもないだろ!」と。
この医師はバカなのか。専門分野には長けていても、それを患者や家族といった一般に下ろす作業が全くできていない、話にならないと痛感しました。
これまでのその病院の医師の態度や説明を思い出すにつけ、コミュニケーション能力の低さを感じざるを得ませんでした。
私の医師への信頼は、この病院によって生まれて初めて木っ端微塵に崩れ去ったのです。伯母の主治医の態度やこの出来事から、私の医師を見る目が変わりました。
彼らは何様のつもりか。そういう態度の医師に人の命を預けるなどとんでもない話だ。
お医者様だから偉いのではない。お医者様だから人間的にできているわけでもない。見渡せば、むしろ世間知らずが仇となっている医師の何と多いことか。偉そうに構えるばかりで、説明一つきちんとできない、横文字使えば専門性をアピールできると思っているのか、わかりやすく下ろせない、
勿論、信頼に足る立派な医師もいますし、知っています。
そのような人物は、診察態度にも言葉にも出るのです。
そのような医師には心から「ありがとうございました」と礼を述べて、安心を手土産に帰ります。
話が横道に逸れましたが、当該の若い医師に対しては、このような事情があり好印象は持ってはいません。
そんな医師がなぜ夢に出てきたのか本当に不思議なのですが、キーワードを見ていきたいと思います。
私の好き嫌いに関わらず、医師が夢に現れたのは、私の内面の反映だと思います。
この夜もまた、亡き父に人生の選択を含めて将来のことや親兄弟のことを語りかけていました。
己の年齢を考えながらその道に進むことは、確かに大きな負担であり、強いストレスもあります。
しかし、だからと言って、また感情的に流され、心に決めた人生の道を逸れてしまえば、二度と取り返しのつかないこととなるでしょう。
左の手を振って見せられたのは、感情に流されず、理知的に理性的に構えよというアドバイスとして受け止めたいと思います。
背中についても、私の人生への応援と受け止めることができます。
「やってみなきゃわからない」
先日の『人生の選択』において、私はこの夜もこう自分にも言い聞かせていました。
何もやらずに悶々とした日々を過ごして、後であの時どうのこうのと後悔する。
これはまさしくバカという者でしょう。
また、夢は次のようにも解釈できます。
私にとって無関係・無縁な人物が突如として夢に出てくることがこれまでにも多々ありました。
芸能人の自殺や島田紳助さんを始めとした芸能人の夢などがそうです。
この医師も同類と取れば、今回の夢は半分はこの医師自身の変化を表しているものと思われます。
当時留学していると聞いたこの若い医師。
彼の今後を支えるバックボーンができたのか。
身近な人間関係に変化が生じたか。
彼には感謝(手を振る行為が意味すること)と理性が求められているのではと思います。
私たちは夜に呼び出され、伯母の弟夫婦とともに病院に行きました。
脳神経科の医師の説明を聞き、命に別状はないと言われ、私たちは安心したのです。ですが、この医師の説明を聞いていたときには、既に私にはこの病院の医師への不信感と不快感しかありませんでした。主治医でもある内科医の初診の態度があまりにも横柄だったからです。
私たちはしばらくして帰路につきます。
と、病院の駐車場で私が最後に車に乗ろうとしたその時、医師と看護師が駆け寄ってきたのでした。
「危ない状態なので、このまま病室にいますか」
私は一瞬パニックになりかけましたが、すぐにその医師に言いました。
「なぜ言うことが二転三転するのか!?」
不信感ゆえに語調もいささか荒かったと思います。
その医師はすぐに反論しました。
「二転三転はしていません。初めから内科的に診て危ない状態です」と。
私はこのときさらに声を荒げてよほどこう言ってやろうかと思いました。
「たった一つの人の命の生き死にに内科的も外科的にもないだろ!」と。
この医師はバカなのか。専門分野には長けていても、それを患者や家族といった一般に下ろす作業が全くできていない、話にならないと痛感しました。
これまでのその病院の医師の態度や説明を思い出すにつけ、コミュニケーション能力の低さを感じざるを得ませんでした。
私の医師への信頼は、この病院によって生まれて初めて木っ端微塵に崩れ去ったのです。伯母の主治医の態度やこの出来事から、私の医師を見る目が変わりました。
彼らは何様のつもりか。そういう態度の医師に人の命を預けるなどとんでもない話だ。
お医者様だから偉いのではない。お医者様だから人間的にできているわけでもない。見渡せば、むしろ世間知らずが仇となっている医師の何と多いことか。偉そうに構えるばかりで、説明一つきちんとできない、横文字使えば専門性をアピールできると思っているのか、わかりやすく下ろせない、
勿論、信頼に足る立派な医師もいますし、知っています。
そのような人物は、診察態度にも言葉にも出るのです。
そのような医師には心から「ありがとうございました」と礼を述べて、安心を手土産に帰ります。
話が横道に逸れましたが、当該の若い医師に対しては、このような事情があり好印象は持ってはいません。
そんな医師がなぜ夢に出てきたのか本当に不思議なのですが、キーワードを見ていきたいと思います。
- 医師・・・興味の方向が一つに定まり集中して学ぶことができる。強いストレス。大きな負担やノルマ。
- 背中・・・後ろ盾。守護。
- 左・・・理性的。理知的。
私の好き嫌いに関わらず、医師が夢に現れたのは、私の内面の反映だと思います。
この夜もまた、亡き父に人生の選択を含めて将来のことや親兄弟のことを語りかけていました。
己の年齢を考えながらその道に進むことは、確かに大きな負担であり、強いストレスもあります。
しかし、だからと言って、また感情的に流され、心に決めた人生の道を逸れてしまえば、二度と取り返しのつかないこととなるでしょう。
左の手を振って見せられたのは、感情に流されず、理知的に理性的に構えよというアドバイスとして受け止めたいと思います。
背中についても、私の人生への応援と受け止めることができます。
「やってみなきゃわからない」
先日の『人生の選択』において、私はこの夜もこう自分にも言い聞かせていました。
何もやらずに悶々とした日々を過ごして、後であの時どうのこうのと後悔する。
これはまさしくバカという者でしょう。
また、夢は次のようにも解釈できます。
私にとって無関係・無縁な人物が突如として夢に出てくることがこれまでにも多々ありました。
芸能人の自殺や島田紳助さんを始めとした芸能人の夢などがそうです。
この医師も同類と取れば、今回の夢は半分はこの医師自身の変化を表しているものと思われます。
当時留学していると聞いたこの若い医師。
彼の今後を支えるバックボーンができたのか。
身近な人間関係に変化が生じたか。
彼には感謝(手を振る行為が意味すること)と理性が求められているのではと思います。
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夢が伝えるメッセージとは
一度決めた道を簡単に諦めてはいけない。
感情に支配されず、挫折も成長の糧として、常に冷静に構えていなさい。
道を究めるべく重ねる努力には、やがて大きな後ろ盾がついてくる。
それは、成功を支える大きな力となるのです。
感情に支配されず、挫折も成長の糧として、常に冷静に構えていなさい。
道を究めるべく重ねる努力には、やがて大きな後ろ盾がついてくる。
それは、成功を支える大きな力となるのです。
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