この日は、二つの夢が印象に残りました。
一つは叔母(父の末妹)一家が出てきた夢。
これはただ他界した叔父を除いた家族が出てきたというだけで、特にメッセージ性は感じられませんでした。
49日もとうに過ぎ、新たに墓地も購入、納骨も済ませ一息ついていることと思います。夢の内容は団欒と思われる様子でしたから。
が、叔母が寝込む夢を以前見ているので、いずれそうなるでしょう。
心底この一家を恨んだり憎んだりしているわけではありませんが、兄である私の父を騙し、億単位の連帯保証人にし、その結果私たち一家は家も故郷もすべての財産を手放すこととなったのですから、その報いは当然これから受けることとなります。
叔父が他界したことを聞くまで、私は心の中でその罪をとがめるつもりは一切ありませんでしたが、叔父の死をきっかけに考えが変わりました。
私だけでなく叔母が騙したことを私たち家族は一切恨み言も言わずにこれまで来たのです。叔父の心配も当然しました。私の夢見もあったので、叔父が癌になる前に、余命宣告を受ける前に、私は大方叔父がどうなるのかを知っていました。
一度は助けなければと思い、私はその手を打ちました。
結果余命宣告よりも半年以上長く生きながらえたのですが、本来はその癌も克服できた筈。それを叔母たちは無にしたのです。誤った仏を祀り、私の再三にわたる忠告も聞かず、よって魔に取り憑かれていることにも気づかず、誤った信心にのめり込んで、身内のお見舞いすらも断って……。
死んでから連絡をよこしても意味が無い。身内を何だと思っているのかという怒りが、このことによって私の中に生じました。
これまでの思いが一切崩壊し、ならばこれまでの因果応報を受けてもらおう。そういう考えに変わったのです。
叔母一家の不幸を望みはしませんが、今までしてきたことの報いは受けてもらおうと思います。
話を戻します。
もう一つの夢は、霊的な夢です。
私の母親に関係しています。
その夢の内容を見ていきたいと思います。
夢の内容
人など信用できないと言い続け、そのことを私に植え付けてきた母親。
そんな母親にも一人だけ長い付き合いだった友人がいました。
しかし、叔母に騙され、家を故郷を捨て去ってからは、会うこともなく、その間に私の父親も死に、何十年と時が過ぎていきました。
その友人から一度電話があったそうです。
どこぞの施設に入っているとかで、会いたいと言ってきたそうですが、人のことなどどうでもいい母親は結局会いにも行きませんでした。
このことを私が母親から聞いたのは、ずっと後になってからのことです。
それはなぜか。
私の夢にその友人が出てきたからです。
場所は、その友人一家と初めて出会った場所。友人一家は当時私達が住んでいたアパートに引っ越してきたのでした。
そのアパートで、私の母親に会いにやってきた友人。
その友人は、気さくな人で冗談もよく言うおおらかな人、朗らかな人です。
私はその友人を夢の中でからかったりしていました。
最初は友人も相手をしてくれていたのですが、じれったくなったのでしょう。そこをどいてとばかりに私を払いのけ、母親に会いに行こうとしました。
このときの夢はここで終わります。
この夢の内容をすぐに母親に伝えました。
年齢的にもそうかもしれない。会いたいと言っていたのに……。
母親に伝えながら、私も何故か突然涙が溢れ心からの悲しみに包まれたのを思い出します。
そして、この日見た夢。
やはり、その友人は私の部屋を訪ねてきたのでした。直接母親のもとへではなく。
場所は現実の長兄夫婦と母親が暮らす家。
今私は伯母の家にいますが、一緒に暮らしていた時、私は母親の隣りの部屋に寝泊まりしていました。その部屋です。
やはり前に見た夢のように、しばし私とふざけては何やら話をするのですが、そろそろ母親の顔をというところで今回も夢は終わりました。
夢を解釈する
これは霊的な夢なので、友人が今回も母親に会いに来たのでしょう。
でも、なぜ直接母親に行かないか。
それは母親ではわからないからだろうと思います。
私が見て、その意図を汲み、母親に伝えることで、母親も理解ができるのです。
また、夢を見ようと思っても見られるものでもないし、ましてや友人のことをどれだけ母親が思っているのかも疑問です。
常に自分を不幸の犠牲者にして、この世の不幸の被害者でいたい母親ですから、友人が仮に死んでいたとしても、その友人が自分に未練を残していたにしても、それ以上に何よりも今の自分がかわいそうだと思っている母親ですから、夢を見たところでそんな者に故人の心など伝わりもしないでしょう。
死してもなお会いに来てくれる。
ここに何度も投稿した私の父親はもちろん祖母、生き死にはわからないものの何か伝えたい思いを持って出てきてくれる人たち。
魂というものの存在を感じずにはいられません。
魂には『死』はなく、肉体が生きていようが死んでいようが、それらは心を通わせることができる。
目に見えるものだけを信じて、目に見えないものを決して否定しないことの大切さを教えてくれます。
でも、なぜ直接母親に行かないか。
それは母親ではわからないからだろうと思います。
私が見て、その意図を汲み、母親に伝えることで、母親も理解ができるのです。
また、夢を見ようと思っても見られるものでもないし、ましてや友人のことをどれだけ母親が思っているのかも疑問です。
常に自分を不幸の犠牲者にして、この世の不幸の被害者でいたい母親ですから、友人が仮に死んでいたとしても、その友人が自分に未練を残していたにしても、それ以上に何よりも今の自分がかわいそうだと思っている母親ですから、夢を見たところでそんな者に故人の心など伝わりもしないでしょう。
死してもなお会いに来てくれる。
ここに何度も投稿した私の父親はもちろん祖母、生き死にはわからないものの何か伝えたい思いを持って出てきてくれる人たち。
魂というものの存在を感じずにはいられません。
魂には『死』はなく、肉体が生きていようが死んでいようが、それらは心を通わせることができる。
目に見えるものだけを信じて、目に見えないものを決して否定しないことの大切さを教えてくれます。
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夢が伝えるメッセージとは
魂に刻みこんだ情(友情や愛情)は、肉体の生き死にに関係なく、また時に関係なく生き続けるものである。
だからこそ、人の思いというものを決して粗末にしてはいけない。
人の思いや恩を踏みにじることは、己を踏みにじること。
その因果に因る報いは必ず自分に返ってくる。
だからこそ、人の思いというものを決して粗末にしてはいけない。
人の思いや恩を踏みにじることは、己を踏みにじること。
その因果に因る報いは必ず自分に返ってくる。
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