この日は嫌な夢を見ました。
伯母へのお見舞いが先週の金曜日以降できずにいるためか、その心配が夢に出てきたのかもしれません。
ですが、一見悪い夢ではあるけれど、そこにはどんな意味があるのか。
冷静に解釈していきたいと思います。
夢の内容
最初の夢は空でした。
広々とした空が目の前に広がっています。
ですが、快晴といった青空ではありません。
太陽の光を感じさせる青空もありますが、白い雲があって、そのすぐ下には雨雲のような灰色の雲が同じ形、まるで影のように浮いていました。
この夢の後に、伯母が出てきます。
ベッドに寝ている伯母。
その伯母が急に苦しみだします。自分の手で咽喉を絞めているのか、顔がむくみ、青色ブス色と変化して苦しみます。
その傍には現実入所している施設のケアマネがいます。私が何とかしてと言ったと思うのですが、笑っているだけで何もしようともしません。
苦しむ様子が半端ではなく、今にも死んでしまいそうでした。
更に伯母を見ると、なぜか伯母の背骨だけが見えて、その咽喉より下、胸のあたりでしょうか。そこに手首が見えました。伯母の手ではありません。その手が背骨を掴んでいるように見えたのです。
その後、同施設の説明会がありました。伯母の問題を受けての説明会だったように思います。
私の手には渡された書類。
説明を担当するスタッフが言います。
「この説明書を見てください」と。
そこで私は激怒します。、
最初から書類を見てくれというのなら説明会など必要ないだろうがと。
私の怒りは収まらず、その会場には施設の大勢のスタッフが座っていましたが、彼らに向かって私は大声で言います。
「これまで私がただの一度でもあなたたちに間違ったことを言ったことがあるか!? もしあるのなら、土下座してもいい!」
施設のスタッフが頷きます。彼らも私が間違ったことを言ってないことを理解しているのでした。
その後、電話かどうかは忘れましたが、苦しむ伯母が死んだかどうかは定かではないのに、そのケアマネが伯母の死を決めつけ私に「葬式」という言葉を吐きつけたのでした。
夢はここで終わります。
夢を解釈する
何とも後味の悪い夢です。日々良い夢ばかりとは限りません。
それでもいつものように調べていきたいと思います。
この投稿は伯母への面会を終えた後に書いています。
気になったのは、背骨を掴む手の存在です。
伯母は嘔吐を繰り返しているので、これが入所以来の心配の種になっています。咳き込んでしまうことがあり、それによって吐いてしまうのです。
私は今日の面会の際、伯母のベッドの傍らにいて、マントラや経をひたすら唱えてきました。
やはり、間を置いてしまうと、いろんな人が共に暮らしているので、人の出入りもそれだけ多くもあり、さまざまな不要なものも入ってくるのかも知れません。
伯母の苦しむ夢を見ながら、確か死ぬ夢を見るのは逆夢で良くなることを意味するのではなかったかと考えていましたが、この手のことが気になり、悪天候にもかかわらず面会に行ってきました。
何よりも浄化するためです。
この日は、新たに手にしたガヤトリーマントラを唱え、おすがりしました。
夢とは裏腹に、実際伯母の様子は至って良い状態にあるように見えました。呼吸の乱れもなく、顔にあった発赤も引き始めています。顔色とその顔から感じられるエネルギーに弱さは感じませんでした。
夢の分析によると、決して悪い意味ではないことがわかります。
分析通りに進んでいくことを願ってやみません。
順番が逆になりましたが、空の夢は私の未来と当面の状態を暗示したものと思われます。
確かに光り輝く青空が見えました。ですが、その手前には白い雲と灰色の雲が重なり合っているのです。
第二の人生の先行きへの不安が常に灰色の雲のように、夢や希望に付きまとうことを示しているのでしょう。
それではいけないのですね。
確実に青空はあった。
そこにたどり着けるのです。
それを信じて不安をかき消していかないと、思った以上につらい未来への道程となるだろうという意味だと解釈しています。
そして最後に、もしかすると私は施設のケアマネさんに間違ったイメージを持ってしまっているのかもしれません。
今日お見舞いに行った時、行き帰りにそのケアマネさんと挨拶を交わしました。
出てくるんですね。こうして実際。普段は顔を合わせることなど殆どないのにです。
正直、どこか信じられない部分を感じていたのですが、私の誤解だとすれば、このケアマネさんは本当に自分の仕事にやりがいと誇りを持っている方なのかもしれません。人の役に立つことを心から喜べる人なのかもしれませんね。
それでもいつものように調べていきたいと思います。
- 空・・・大きな幸運の訪れ。
- 雲・・・事態好転。問題解決。
- 死・・・再生への願望。病は快方に向かう。
- 怒る・・・誤解が原因でトラブルの暗示。誰かに対する間違ったイメージ。他者からの批判への恐れ。
この投稿は伯母への面会を終えた後に書いています。
気になったのは、背骨を掴む手の存在です。
伯母は嘔吐を繰り返しているので、これが入所以来の心配の種になっています。咳き込んでしまうことがあり、それによって吐いてしまうのです。
私は今日の面会の際、伯母のベッドの傍らにいて、マントラや経をひたすら唱えてきました。
やはり、間を置いてしまうと、いろんな人が共に暮らしているので、人の出入りもそれだけ多くもあり、さまざまな不要なものも入ってくるのかも知れません。
伯母の苦しむ夢を見ながら、確か死ぬ夢を見るのは逆夢で良くなることを意味するのではなかったかと考えていましたが、この手のことが気になり、悪天候にもかかわらず面会に行ってきました。
何よりも浄化するためです。
この日は、新たに手にしたガヤトリーマントラを唱え、おすがりしました。
夢とは裏腹に、実際伯母の様子は至って良い状態にあるように見えました。呼吸の乱れもなく、顔にあった発赤も引き始めています。顔色とその顔から感じられるエネルギーに弱さは感じませんでした。
夢の分析によると、決して悪い意味ではないことがわかります。
分析通りに進んでいくことを願ってやみません。
順番が逆になりましたが、空の夢は私の未来と当面の状態を暗示したものと思われます。
確かに光り輝く青空が見えました。ですが、その手前には白い雲と灰色の雲が重なり合っているのです。
第二の人生の先行きへの不安が常に灰色の雲のように、夢や希望に付きまとうことを示しているのでしょう。
それではいけないのですね。
確実に青空はあった。
そこにたどり着けるのです。
それを信じて不安をかき消していかないと、思った以上につらい未来への道程となるだろうという意味だと解釈しています。
そして最後に、もしかすると私は施設のケアマネさんに間違ったイメージを持ってしまっているのかもしれません。
今日お見舞いに行った時、行き帰りにそのケアマネさんと挨拶を交わしました。
出てくるんですね。こうして実際。普段は顔を合わせることなど殆どないのにです。
正直、どこか信じられない部分を感じていたのですが、私の誤解だとすれば、このケアマネさんは本当に自分の仕事にやりがいと誇りを持っている方なのかもしれません。人の役に立つことを心から喜べる人なのかもしれませんね。
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夢が伝えるメッセージとは
願いは叶う。
それを信じて、余計な種は持たないことだ。
日々の努力は常に願望成就を果たした歓喜に包まれるべきであり、不安や心配は怠け心の表れである。
また、良く知りもしない人に勝手なイメージを持つことは誤解を生む種となる。
あれこれ思案せずに、まずは素直にありのままを受け留めよ。
それを信じて、余計な種は持たないことだ。
日々の努力は常に願望成就を果たした歓喜に包まれるべきであり、不安や心配は怠け心の表れである。
また、良く知りもしない人に勝手なイメージを持つことは誤解を生む種となる。
あれこれ思案せずに、まずは素直にありのままを受け留めよ。
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