この日は、まずは元同僚の水野(仮称)さんが出てきました。何か会話していたように思うのですが、夢の内容は殆ど失念してしまいました。
最近は日の出の時間が早くなってきているので、それに伴って猫たちの寝起きも早くなっており、「ゴハン、ゴハン」(実際こう鳴く)と起こされてしまうからです。
ですが、もう一つ見た夢ははっきりと記憶しています。
亡き父親が出てきました。
霊的な夢です。
この夢を見終わり朝目を覚ますと、私は怒りに溢れていました。
その辺も含めて、夢の内容を記録しておきたいと思います。
夢の内容
夢の内容は至って単純です。
亡き父親が現れ、私はその傍にいます。
その父親がこう言います。
「将来は大丈夫なのか? このままでは行き詰ってしまうぞ」
たったこれだけの内容です。
ストレートに霊的な夢。
私の将来を案じる亡き父親の言葉でした。
夢を解釈する
これは霊的な夢なので、そのままに意味を取ります。
このブログでも書いてきましたが、私はここにきてようやく第二の人生をどの道で生きていくかを決心しました。
それから日々心をそのことに向かわせ、努力を試みています。
努力を試みる。そうです。思ったように努力したくとも、なかなか他のことに時間を取られてできない状況が続いています。
気は焦ります。このままでは本当に夢を果たせない。それどころか生活もままならなくなる。そういう状況です。
いつか冷静に書くことができるならば、私は親兄弟とのかかわりなどを書き残したいと思っていますが、今はとても無理です。心が荒れるのが分かっているからです。それだけ私は親兄弟のことで苦しんできました。
それも、父親が生前、自分が死んだら母親のことを守ってくれと言ったため。
兄弟の中で私だけがこの父の言葉の重みを汲み、三十年以上も、いや今も母親のことで心砕いています。
毎日毒を吐き続ける母親。
自分だけが良い人になり、嫌なことはみな私をけしかけ、あおり、やらせてきました。
それなのに、私のある事ない事、兄弟や甥、身内にまであらん限りの悪態をつき、私を悪者にしてきたのです。
誰よりも母親を気遣い、心配し、心だけでなく憎まれることを覚悟しながら、兄嫁などに意見してきたのに。いつでもどこでも私だけが常に相談役だったのに。いつでもどこでも母親の感情のゴミ箱にされてきたのに。
いくら言葉にしようとしても、この数十年の人生を振り返ったとき、私には『無念』という思いしか残りません。
それもこれも父親の言葉に忠実だったがため。
私を心配してくれるなら、もっと早くに母親を何とかしてほしかった。兄たちを何とかしてほしかった。
彼らゆえにどれほど私は自分の人生を歪められてきたか。
亡き父親の私の将来を案ずる気持ちはうれしかった。
ですが、同時にこうした怒りを私はどうしても抑えることができませんでした。
良い子であろうとしたがための顛末です。
勝手なことをしてきた兄たちだけが自分の思うような人生を歩み、あれもこれも私は犠牲にした人生を歩まされてきました。
親兄弟への恨みつらみは尽きません。
しかし、こんなものを自分の胸に抱いていても何にもプラスにはならない。
『因果応報』という天の摂理が、仏の戒めが、いずれその報いを彼らに与えることを信じてすべてを委ねています。
私は父親の訴えました。
もう二度と彼らのことに私を関わらせないでくれと。
良くも悪くももうたくさんだと。
もうすべてを終わりにしてくれと。
私を案ずるくらいなら、彼らが伯母に対して私に対してしてきたことの報いをすぐにでも与えてくれと。
この投稿を書いている今、夢見の後の怒りは静まっています。
なぜなら確かに今のままでは私は終わるからです。
残された時間も限られています。
一日一日がいかに重く大切なものであるか、この年になってやっと実感できるようになりました。
怒害は不要なものです。
怒りの後には疲労困憊が来ます。
そんなことにエネルギーを使うなど愚かです。
彼らのことを考え時間を費やすのも無駄というもの。
私は亡き父親の警告を冷静に素直に受け止め、今後に生かしていくべきなのです。
このブログでも書いてきましたが、私はここにきてようやく第二の人生をどの道で生きていくかを決心しました。
それから日々心をそのことに向かわせ、努力を試みています。
努力を試みる。そうです。思ったように努力したくとも、なかなか他のことに時間を取られてできない状況が続いています。
気は焦ります。このままでは本当に夢を果たせない。それどころか生活もままならなくなる。そういう状況です。
いつか冷静に書くことができるならば、私は親兄弟とのかかわりなどを書き残したいと思っていますが、今はとても無理です。心が荒れるのが分かっているからです。それだけ私は親兄弟のことで苦しんできました。
それも、父親が生前、自分が死んだら母親のことを守ってくれと言ったため。
兄弟の中で私だけがこの父の言葉の重みを汲み、三十年以上も、いや今も母親のことで心砕いています。
毎日毒を吐き続ける母親。
自分だけが良い人になり、嫌なことはみな私をけしかけ、あおり、やらせてきました。
それなのに、私のある事ない事、兄弟や甥、身内にまであらん限りの悪態をつき、私を悪者にしてきたのです。
誰よりも母親を気遣い、心配し、心だけでなく憎まれることを覚悟しながら、兄嫁などに意見してきたのに。いつでもどこでも私だけが常に相談役だったのに。いつでもどこでも母親の感情のゴミ箱にされてきたのに。
いくら言葉にしようとしても、この数十年の人生を振り返ったとき、私には『無念』という思いしか残りません。
それもこれも父親の言葉に忠実だったがため。
私を心配してくれるなら、もっと早くに母親を何とかしてほしかった。兄たちを何とかしてほしかった。
彼らゆえにどれほど私は自分の人生を歪められてきたか。
亡き父親の私の将来を案ずる気持ちはうれしかった。
ですが、同時にこうした怒りを私はどうしても抑えることができませんでした。
良い子であろうとしたがための顛末です。
勝手なことをしてきた兄たちだけが自分の思うような人生を歩み、あれもこれも私は犠牲にした人生を歩まされてきました。
親兄弟への恨みつらみは尽きません。
しかし、こんなものを自分の胸に抱いていても何にもプラスにはならない。
『因果応報』という天の摂理が、仏の戒めが、いずれその報いを彼らに与えることを信じてすべてを委ねています。
私は父親の訴えました。
もう二度と彼らのことに私を関わらせないでくれと。
良くも悪くももうたくさんだと。
もうすべてを終わりにしてくれと。
私を案ずるくらいなら、彼らが伯母に対して私に対してしてきたことの報いをすぐにでも与えてくれと。
この投稿を書いている今、夢見の後の怒りは静まっています。
なぜなら確かに今のままでは私は終わるからです。
残された時間も限られています。
一日一日がいかに重く大切なものであるか、この年になってやっと実感できるようになりました。
怒害は不要なものです。
怒りの後には疲労困憊が来ます。
そんなことにエネルギーを使うなど愚かです。
彼らのことを考え時間を費やすのも無駄というもの。
私は亡き父親の警告を冷静に素直に受け止め、今後に生かしていくべきなのです。
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夢が伝えるメッセージとは
将来は大丈夫か。このままでは行き詰るぞ。
つまりは、生活すらも成り立たなくなるということ。
どんなことにも終わりがある。
その終わりを迎えたときに、『時既に遅し』ではまずいのだ。
日々の努力を決して怠るな。そこに言い訳は存在してはならない。
つまりは、生活すらも成り立たなくなるということ。
どんなことにも終わりがある。
その終わりを迎えたときに、『時既に遅し』ではまずいのだ。
日々の努力を決して怠るな。そこに言い訳は存在してはならない。
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