この日は二日ぶりに伯母に会いに施設にってきました。
予定なら前の日に行くことになっていたのですが、土地神様にお詣りを先にして、そのまま施設に向かおうとしたら悪天候になり断念。
やはり、伯母を見舞うたびに神仏のご加護を感じ、感謝せずにはいられません。
三月に入り、私は就寝前に神仏への感謝、ご先祖様皆々様への感謝、そして伯母の為に力を尽くしてくれている皆様に感謝してから眠るようにしました。
一日の終わりを感謝とともに終える。
これは実に良いことだと思っています。この年になって気づくとは、本当に我が身の未熟さを思い知らされますね。
では、夢の内容を見ていきたいと思います。
夢の内容
どうも私は何か大病を患ったのか、お見舞い(快気祝い?)を受けている夢でした。
ただ場所は病院内なのか、それとも退院して別の場所なのか、はっきり思い出せません。
お見舞いに来たのは、伯母が入所している施設の介護士さんたち。
一メートルはあるでしょうか。そんな長さの大きな大きな花束をくれました。
私は心から喜んでいます。
すると、一人の介護士がもう一つ別の花束を私に差し出しました。
その花束も私へのお見舞いの気持ちなのですが、その花束を私にくれたのは私が以前その人物を助けたのか、そのお礼も兼ねているようでした。
介護士さんたちから頂いた半分の長さの花束ですが、たくさんの花が包まれていました。
介護士さんたちから頂いた花もそうですが、包まれている花が何なのかまではわかりません。これはいろんな花が混ざっていたのと、私自身現実でも花の名前を多くは知らないからです。
私が二つ目の花束を見ていると、この花束がどこから送られてきたのかが私の意識下に入ってきました。
『川内小学校』
そこの小学生を私が助けたのか、そのお礼とお見舞いの花束だったようです。
私は二つの花束を目の前にして、感謝の気持ちで胸がいっぱいになっていました。
夢はここで終わります。
夢を解釈する
いつものように『未弐の夢事典』から調べていきます。
伯母が現在の施設に入所してからしばらくはトラブル続きで、そこに入らざるを得なかったとはいえ、本当に後悔と伯母への申し訳なさで悩んでいました。
しかし、地道にこちらの言いたいことを伝え、一応の解決を見てからは、私は積極的に施設のスタッフさんたちと言葉を交わすようにしました。
これは最初が最初だったこともありますが、何よりも人の命を預かる場所ですから、人間的な付き合いを求めたかったからです。
今の施設ではそうした努力が報われているのか、前にいた施設よりも介護スタッフさんたちと気さくにコミュケーションできるようになりました。
今では伯母に会いに行くのは勿論ですが、一言二言、いやお互いに冗談を言い合ったりして介護スタッフさんたちと言葉を交わせるのも楽しみで施設に顔を出しています。
そうした介護スタッフさんたちから花束を貰うなんて、とてもうれしいことですね。それも私を祝福してくれているわけですから。
病気が良くなることは、事態の好転・問題解決とあるので、伯母(実は伯母は時折嘔吐する)の状態が良い方向に行くのかもしれません。
そして、正直足繁く伯母に会いに行く私を介護スタッフさんたちが内心うるさく感じているのではと心配していたのですが、すべてではないにしろ、今回の夢で好意的に受け止めてくれているスタッフさんも多いとわかったので安心しました。
ただ全くわからないのが、この突如出てきた小学校です。
現実ある小学校なのでしょうか?
調べてみると、確かにありました。
が、そんな離れた場所、しかも小学校?
一体どんな関係が私とあるというのでしょうか。
恐らくは何かを暗示していると思われますが、もう一つ考えられるのは、私の夢見の場合、突如自分と無縁のものが出てくる場合は、そのものの大きな変化を表すことが多くありました。
なので、この名前の小学校に何かしらあるのではとも思われます。
もしも暗示だとすると、子供たちとの関係性が示されているのでしょうか。
才能や感性が開花する。
私の第二の人生の道。
そこに採りあげるべきは、生きていく子供たちの姿なのか。
現段階ではこれだという解釈ができずにいます。
- 見舞い・・・同情を引きたい気持ち。誰かに迷惑をかける。
- 退院・・・苦境から出る。一人で未来を切り開ける。権力者からの独立と自由。
- 病人が元気になる・病気が治る・・・事態好転。問題解決。
- 花・・・花を贈った人物からの好意的なメッセージ。才能や感性の開花。
- 名前・・・近い将来にそれとの関係性が生じる。
- 喜ぶ・・・精神面での充実。人間的成長。
伯母が現在の施設に入所してからしばらくはトラブル続きで、そこに入らざるを得なかったとはいえ、本当に後悔と伯母への申し訳なさで悩んでいました。
しかし、地道にこちらの言いたいことを伝え、一応の解決を見てからは、私は積極的に施設のスタッフさんたちと言葉を交わすようにしました。
これは最初が最初だったこともありますが、何よりも人の命を預かる場所ですから、人間的な付き合いを求めたかったからです。
今の施設ではそうした努力が報われているのか、前にいた施設よりも介護スタッフさんたちと気さくにコミュケーションできるようになりました。
今では伯母に会いに行くのは勿論ですが、一言二言、いやお互いに冗談を言い合ったりして介護スタッフさんたちと言葉を交わせるのも楽しみで施設に顔を出しています。
そうした介護スタッフさんたちから花束を貰うなんて、とてもうれしいことですね。それも私を祝福してくれているわけですから。
病気が良くなることは、事態の好転・問題解決とあるので、伯母(実は伯母は時折嘔吐する)の状態が良い方向に行くのかもしれません。
そして、正直足繁く伯母に会いに行く私を介護スタッフさんたちが内心うるさく感じているのではと心配していたのですが、すべてではないにしろ、今回の夢で好意的に受け止めてくれているスタッフさんも多いとわかったので安心しました。
ただ全くわからないのが、この突如出てきた小学校です。
現実ある小学校なのでしょうか?
調べてみると、確かにありました。
が、そんな離れた場所、しかも小学校?
一体どんな関係が私とあるというのでしょうか。
恐らくは何かを暗示していると思われますが、もう一つ考えられるのは、私の夢見の場合、突如自分と無縁のものが出てくる場合は、そのものの大きな変化を表すことが多くありました。
なので、この名前の小学校に何かしらあるのではとも思われます。
もしも暗示だとすると、子供たちとの関係性が示されているのでしょうか。
才能や感性が開花する。
私の第二の人生の道。
そこに採りあげるべきは、生きていく子供たちの姿なのか。
現段階ではこれだという解釈ができずにいます。
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夢が伝えるメッセージとは
人間関係は精神面での充実にも不可欠な要素である。
才能や感性を開花させるには、人間的成長が欠かせない。
人と交わり、感謝の心を持つ。
そのことが更に好意の輪を広げていくだろう。
才能や感性を開花させるには、人間的成長が欠かせない。
人と交わり、感謝の心を持つ。
そのことが更に好意の輪を広げていくだろう。
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