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一つの謎が解けたとき

十二日就寝。

この夜も夢を見るものの、記憶に残るものは殆どなかったのですが、ただ一つだけやばいものを見てしまいました。

About』 でも書いていますが、また過去数多くの投稿をしたのですが、瞼の裏におぼろげな映像が見えることがあります。

その中には人や動物の顔もありますが、人の顔ではないもの、この世の者ではない顔も時にあります。そういうものは見ていて不気味さを覚えます。

また、目だけが見えるときがあります。その目ははっきりとしていて、非常に澄んだ目から怖さを感じる目までさまざまです。


この夜、布団の中で目を閉じてしばらくすると、瞼の裏に人の顔が出てきました。

ドロドロした感じの映像がしだいに人の顔へと変わっていったのです。その顔は歪み、私は不気味さを感じました。印象としてはそれほど年をとっていない男の顔に見えました。

まだ私の意識ははっきりしていた(瞼の裏に見えるのは皆意識がある間に見ます)ので、目をそらすようにして眠ることに意識を集中しました。

ただ一つ記憶に残った夢が、この顔と何か関係があるのかもしれません。

その夢もまた不気味なものだったからです。


夢の内容

見たのは明け方に向かう頃だと思います。

夢の中で、見知らぬ男性が私の恋人として出ていました。

顔は甘い感じの、どこか幼さを感じさせる若い男性。若い子と言った方がいい。

その男が私に甘えてくるのですが、体をすり寄せてきたり、顔をすりつけてきたり……。

私は彼が求めるままにその男を抱いていました。

いや、気が付けば、抱っこしていたのです。

若い男性だったはずの男が、私の腕に抱っこされていると、子供の姿になっていました。

そして、何やら私に語り掛けてきます。

このときもいくつか言葉を発していたのですが、最後に出てきた言葉。それだけははっきりと記憶に残りました。

『僕、動物嫌いなんだよねー』


目が覚めて、私の中で一つ気にかかっていた謎が解けた気がしました。

夢を解釈する

今回は『未弐の夢事典』から調べるキーワードはありません。

なぜならこれは霊的な夢であると判断しているからです。

まず、瞼の裏に人の顔が映る場合、これまでの経験から、生きている者の顔が出てきたことは一度もありません。

瞼の裏に出てくる顔は、悪いもので恐らくは浮遊霊、不成仏霊などで、また良いものとしては神仏の世界の者と感じています。

夢に出てきた男あるいは男の子は、死霊でしょう。そして、これは断定できませんが、瞼の裏に見た顔の人物その人かもしれません。


伯母の家に来て、私は数多くの猫と一緒に暮らしています。

数が多いこともありますが、とてもとても手に負えないほど面倒だと感じた時があり、怒りが尋常じゃない時期がありました。

このとき、私は母にこうこぼしています。

「仏壇に祀られている人かはわからないが、誰か猫嫌いの人がいるに違いない」と。

つまり、私はその影響を受けてしまっているということです。

そのことを意識してからは、一切伯母の家の仏壇に猫を近づけさせないようにしていました(今もです)。


そして、昨年十二月一日。

忘れもしません。

この日は伯母のご加護を願っている神社(母親と長兄夫婦が暮らしている町)にお礼参りに行く日でした。

生憎天気が悪く、どうしたものかと迷いつつも、お礼参りは大事なこと。何を置いても優先すべきこととして、行くことに決めました。

と、その時です。

「死んじゃうよ」

と、声が意識下に入ってきました。愛嬌のある子供の声に聞こえました。

私はすぐ意識下で応答します。

「死ぬ? 誰が? 伯母?」
「死んでも知らないからね」

私は随分迷いましたが、心の中でこう言いました。

たとえ伯母が今日尽きる命であっても、私は神様に礼を尽くすと。


この日、お礼参りから帰宅した私を待っていたのは、まだ五か月にも満たない子猫の死でした。家猫として飼っていたのに、不慮の事故で死んでいたのです。

一体誰だったのだろう。教えてくれたのは。

まさかお礼参りで行くことになっていた神社の神様だろうか。でも、声がちょっと……。

ずっとわからずじまいでいました。


子猫が亡くなる前に、一年数か月になるオス猫もまた一匹姿を消しています。

体を壊し、病院にも連れて行ったのですが、その後一週間ほど経って、めずらしく外に出たがったので、いい運動になるかもと思い外に出したのが最後となりました。

どうもオスばかりがいなくなる。

このとき、そうも思っていました。

何かある。何だろう。何かいるのかと。


この夜、夢に出てきた男。

『僕、動物嫌いなんだよねー』

この時の声。そして、子猫が死んだ日に聞いた声。

同じ声。


この辺で亡くなったのか、あるいは成仏できない霊が浮遊してきたのかはわかりません。

ただ、伯母の家のそば、道路を挟んで、石碑がひとつ立っています。昔来たとき、こんなのあったかな? 更にその石碑のそばに卒塔婆と思われる四角柱が立てられました。

何だろうと気にはなっていたのですが、一昨日偶然にもその石碑に手を合わせている男性の姿を見ました。よほど声でもかけてみようかと思ったのですが、伯母への面会に行くところだったので、そのまま素通りしました。

そして、その男性の姿を昨日も偶然見たのです。伯母の家の前の道を歩いていく姿でした。時刻からしてちょうど前の日に見たお参りの時間と同じ頃です。


石碑。お墓? 以前から思ってはいたのですが、誰かが事故で亡くなり、供養のために建てられた石碑なのではないかと。

この件はいつか確かめてみようと思っています。


果たしてその墓碑?と関係あるのかどうかはわかりませんが、目を覚まし起きてから、私の頭の中はこの不気味な霊のことでいっぱいでした。

『僕、動物嫌いなんだよねー』

下手すると、また殺されかねない。

とにかく離れてもらうしかありません。

私は朝のお勤めのとき、この子の成仏を願い、とある経を唱えました。

それでも引かないときは、私の覚悟もできている。そのつもりです。

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夢が伝えるメッセージとは

自分のことを自分でもちょっとおかしいと感じたら、身を清め、あるいは然るべきところで見てもらうことです。

目に見えなくとも、この世にはいろんなものが溢れています。見えない何かに影響を受けているかもしれません。それは何も霊ばかりではない。

しかし、ひとたびそれが霊の仕業だとわかったならば、それ相応の人に相談すると良いでしょう。

むやみやたらに怖がらず、魔になっていない霊ならば、何よりもその成仏を願い、手を打つことです。


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This post was written by: 夢見人(Birdie)

夢の記録:夢と目蓋の裏に見える映像などから、あちらの世界のことなどを語っています。

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