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三者三様

十一日就寝。

この夜は、訳のわからない夢をいくつか見ました。

ですが、中には何かを暗示するような内容もあり、何を言わんとしているのか皆目見当がつかないのですが、いつものように調べていきたいと思います。

大きく分けて見た夢は三つ。

それを順に追っていきます。


夢の内容

一つ目の夢は、いきなり次のような場面から始まりました。まるで映画を途中から見るような感じです。

私は一人の老婆と向かい合って座っていました。60代かそこらの老婆は現実世界でもどこかで会うことになるのだろうかと思うほど、その顔ははっきりと見えました。

私はその老婆の話を聞いています。

老婆が言うには、何か悪霊に悩まされているとのこと。

理由を問うと、四という数字を『死』と言ってしまうからだとのこと。

誰がとり憑いているのかもわかるようで、相手は女性。この老婆の身内のようでした。

亡くなって35年だと言います。

私は相談内容を受け、こう言います。

「人は死んで33回忌を迎えないと、あの世には安住できない。既に35年経っているということは、成仏できなかったのでしょう」と。

そうです。私は霊能者というか、そのような不成仏霊や悪霊を鎮める力を持った者となっていました。


二つ目の夢は、現実世界では全く見も知らぬ人物ですが、私の方から喧嘩別れした彼氏という人物が出てきました。

別れたものの、彼は本当に私を思ってくれていたようで、彼の後姿を見て、私はそのことに気づきます(現実世界でも私は人の後姿でその人の頭の良し悪しなどを感じることができます)。

しかし、別れを告げられた彼は、仕方ないと思いながら新しい出会いを求めているようでした。

私は彼と再びやり直したいと思うようになります。復縁です。

再び彼と会っているのですが、そのことをどう切り出せば良いものかと思案していました。


三つ目は、亡き父が出てきました。

大きな平屋の家があり、そこに私の母と長兄夫婦が住んでいるようで、ですが、この辺が全く訳が分からないのですが、なぜかそこは歯科医師の家のようでもあり、私はその家に入っていきます。

すると、どこからか贈り物をもらっていたようで、いくつか箱が積まれていました。

その箱の一つを父が手に取って、これはいくらのものかと値段を探ろうとしたので、私はここにあるじゃないかと値札を指さし教えます。

確か3,212円だったか。これは、実際には値段が欠けているところもあり、私が何となく読み取った金額です。

その贈り物は海苔の詰め合わせでした。

夢を解釈する

どこをどう解釈してよいのやらと思いつつ、いつものように『未弐の夢事典』から調べていきたいと思います。
  • 見知らぬ老人が何かを語る・・・それがアドバイスやヒントになる。

と、ここまで書いてハッとして気になったので、母親に電話しました。

35年ほど前、私の父よりも前に誰か女の人で死んでいないかと聞くと、いました。

北海道にいた自分の育ての親だそうです。

北海道には母親の次姉がいるのですが、この次姉も既に亡くなっています。が、父より後なので、誰かいないかと更に聞いてみたら、母親、つまり育ての親だろうとのことでした.

私はその人物が成仏できていないこと、何か障りを起こしていることを伝えました。

その親には子供がいるそうですが、あまり褒められた人物ではないようでした。

本当は母親に北海道まで供養に来てもらいたいのだろうと思いましたが、現状無理なので、私は母親にその人を偲び、灯明とお線香、お水をあげて、手を合わせるようにと言いました。

これで一つ目の夢は結着がつきました。


続いて調べていきます。
  • 自分が超能力者になる・・・努力をしないで何かを成し遂げたい願望。

これは私への注意でしょう。

自分の専念すべきことが遅々として進まず、求める結果ばかり見て現状に焦りを感じている自分への注意です。

地道に努力せよということです。


更に……、
  • 復縁・・・その人とやり直したい気持ち。

これは暗示ではないかと思います。

つまり、過去に親しくしていた人物が、これからまた私の前に登場する。

私は彼が昔と変わらぬ親愛の情を私に対して持っていることを知り、彼とまた仲良くしたいと思うのでしょう。

そのようにこの夢を解釈しました。


さて、次の項目です。
  • 数字の2・・・プラスとマイナスの側面。対立。
  • 数字の3・・・二つの対立から生まれる統合。対立の解消。
  • 数字の1・・・始まり。統合。自分自身。

海苔の贈り物は私が貰ったものではないので、これについてはキーワードから除外しました。

これらの数字が意味するのは、私の内的変化かもしれません。

私は昨日初めて母親への感謝を心の中で言いました。

母親への恨みつらみは尽きることはないのですが、今も関係を断ちたいという願いも変わらないのですが、一つ一つの行為を個々に捉え、神仏に委ねる負の部分はそれとして、ありがたいことには感謝するように思い始めたのです。

親兄弟に対しては決してできなかった『罪を憎んで人を憎まず』ということが、ようやっとわかってきたのかもしれません。

その心のありようが、このような形で夢に表れたのでしょう。

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夢が伝えるメッセージとは

人は死んで後、33回忌を迎えるまでの供養は最も重要なものである。その供養がないと、あの世に行きたくとも行けないまま不成仏となる。それが障りとなり、生きている人間にかかわってくる。

『千里の道も一歩から』という諺があるように、何事も地道に努力を積んでいかねばならぬ。

人との出会いは不思議なことではなく、すべて縁による。そして、その縁はすべて必然から生まれるものである。

『罪を憎んで人を憎まず』という心でいることは、新たな自分の生き方の可能性を示している。それだけ精神が成長した証でもある。


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This post was written by: 夢見人(Birdie)

夢の記録:夢と目蓋の裏に見える映像などから、あちらの世界のことなどを語っています。

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